学校の歴史 |
昭和48年(1973年)開校。久留米市開発公社の計画により開発造成された。
本校は、久留米市の東部に位置し、居住のために開発された住宅地の中にあります。 |
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昭和48年(1973年)開校当時の写真。 開校時の新聞記事。 現在と違い大きなニュータウンだったことがわかる。 |
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僕たちの学校 僕たちの学校は うまれたばかりの あかちゃん学校だ きょうしつは プレハブでできている よこにりっぱな ほんとの学校が とちゅうまで できている ブランコ すべり台も まだ何もない だからあそびに こまるんだ
早くほんとの学校が できないかなぁ
昭和48年5月26日掲載新聞より |
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新学期からスタートした久留米市で26番目の小学校・青峰小学校(富松茂校長、225人)では、仮住まいのプレハブ校舎でうだりながらデラックス校舎の完成を待ちわびている。 同小は高良内ニュータウンの建設に伴って新設された。ニュータウン造りには県、住宅公団、開発公社、民間業者も加わっており、46年度から入居を始め、現在およそ900戸3500人。52年度の完成時には1700戸7000人のニュータウンが誕生する。これまで高良内小ですし詰め授業をしていたが、今年4月から独立した。校舎完成は2学期初めだが、学年途中でのクラス編成替えは支障が多いのでプレハブ平屋7教室で開設した。
すぐそばでは新校舎建設が突貫工事で進められており、22教室(うち特別教室4)と、たっぷり教室はある。夏休みに入るとプレハブ校舎を壊して2学期から新築校舎に引っ越す。プレハブ校舎跡は上学年用、上段の小グランドは下学年用運動場に当てることにしている。校舎建設現場横では、公営住宅4棟が完成間近、8月末に入居することになっており「これまで比較的しのぎやすい天候に救われましたが何しろプレハブはつらいです・・・。でも、あと1ヶ月ですから・・・」と富松校長以下職員、児童たちは夏休みまでを頑張りぬいている。 (写真は青峰小のプレハブ校舎で頑張る児童たち。突貫工事中の新校舎) 当時新聞より |
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開校記念式 |
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昭和57年(1982年)度の児童数1039名の最高値を境として毎年、児童数減の状態である。現在は、学級8,児童数51名である。(令和6年4月1日現在) |
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